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この本はイタリア在住のアメリカ人が書いたため、非常に客観的ではありますが、逆に当時のイタリアの空気、一般の人々がどのようにこの事件をみていたか、感じていたか、は掴みにくいです。
現在、モロ首相暗殺にかかわったメンバーは逮捕されています。上記の本にはその記述がなかったため、犯人がまだ逮捕されていないという不正確な文章となってしまいました。
しかし、実際どの時点で犯人が明らかになり、逮捕されたのかは私の調査不足で不明です。こちらに関する詳しい本などご存知の方いらっしゃいましたら、コメントで残していただけないでしょうか。
マルコ・ベロッキオは、実行犯のひとりであったアンナ・ラウラ・ブラゲッティが書いた本からもっともインスピレーションを受けたと語っています。私はほかにも日本語で読める本はないか、いろいろ探したのですがイタリア文化会館でも見つけられなかった。この手の本は日本語にほとんど翻訳されていないので、イタリア語ができないのがつらいところです。
また、赤い旅団のメンバーがどういう人たちで、どういう活動をしていたかについては、日本赤軍を身近な例として思い出しながら観るといいのではないかと思いますが、私はこの映画だけを見ると、メンバーはずいぶんと余裕をもって冷静に誘拐・暗殺を実行しているなあと驚いたのですが、実際もこういうものだったんでしょうか?日本のこういう活動家って、アジトにこもって集団生活してとか、過激なイメージがあるので、まあ、この映画の登場人物は、末端のメンバーで、幹部は別のところにいるのでそう見えるだけですかね。だって、ガールフレンドに会いに行ったり、途中で脱退するというメンバーがいて、あっさり行かせて、でもまた戻ってきて、そのメンバーをあっさり受け入れたり、すごく縛りがゆるいというか自由に動いている「ように」みえて、その人たちがなぜ一国の首相の命までとる暴挙に出たのかというところは弱かったのかなと。たとえば、イタリア人ならもうわかりすぎているからそこまで描かなかったのかもしれませんが、私が今の時代にみるには補足の解説がいろいろ欲しい映画です。
また、キアラのモデルになったアンナ・ラウラ・ブラケッティは、父親が戦時中パルチザンの闘士であったそうです。理想に燃えてファシズムに抵抗し闘った父親をもつ娘が、その理想がどこでどう間違ったのか、過激な武装闘争に走り、本来の理想がどこかに追いやられてたという現実は目を向けておくべきかと思います。
それと比較すると日本で戦争に反対した親をもつ子どもが戦後に学生運動に没頭したなんて話は聞きませんから、日本との違いも感じました。
本作は監督の才気と情熱がひとつの作品に見事にバランスよく結集した傑作です。頭のよい人が作ったことはみていてわかります。舞台はモロ首相が監禁されているアパートだけを舞台にする、密室劇です。緻密な画面構成(画面を左右に分割し、たえずモロと旅団メンバーをひとつの画面に並べる、遠近法をつかった絵画のように画面奥と手前に配置したりもしています。またガラス窓を隔てて明るい外に鳥カゴ(それは監禁されているモロを表す)を置いたりする細かい設定にも注目)、また、陰影のつかいかた(モロの部屋にライトがあたり、メンバーのいる場所は暗い)、音楽選曲のセンスのよさと挿入するタイミングなど。
でも、私が一番心を動かされたのは、その緻密な構成よりも、監督の理想やイタリア社会に対する熱い想いのほうです。
それは、キアラの職場の同僚マルコ託されています。キアラは、自分の掲げる理想と現実のギャップのはざまで揺れ動く主人公を熱演しています。
アルド・モロをなぜ解放できなかったのか、もし、あのときこうしていれば、
そんなことは空しいけれど、でも彼の解放されたイメージ、それはカナリアがカゴから逃げ出してもすぐ食べられたという暗示も映画に描かれているけれども、なにか、もっとよい結末があったのではないか、もしそれがあるとしたら未来はそうであってほしい、という監督の望み(絶望の裏返しではあるけれども)のほうを深くかみ締めたいと思います。
マヤ・サンサはマルコ・ベロッキオの『乳母』の主演に起用されて注目を浴び、本作で続けて起用されることで女優としての評価を確立しました。『輝ける青春』よりこの映画のほうが彼女にとっては、女優として大きく羽ばたくきっかけになった記念すべき作品だと思います。
この映画では彼女の笑顔は見れませんが、モロが家族へ書いた手紙の朗読をきいてキアラが涙を流す場面が、この映画のもっとも感情的に盛り上がる場面です。「怒りで泣いた」と強がるけれど、私はそうではないと思いたい。
なお、ルイジ・ロカーショが主犯のマリアーノを演じているのですが、彼は先天的に人間の温かさがにじみ出る人だと思っていたのに、恐ろしく冷酷な目をしていてドキッとしました。彼の悪役ぶりも必見です。いや、本当に演技が上手な人なんだと思いました。ロカーショにも惚れ直したよー。
この映画は音楽の使い方が巧みです。事件がおこったことを高らかに知らせるかのように最初に流れるのが『アイーダ』。途中ワルツまで流れ、なんとラストはピンク・フロイド。この曲のタイトルを調べようと思ってまだ調べていません。この事件がおこったときと同時代の曲だったのでしょうか、この映画の音楽の使い方だけで面白い批評がかけそうです。どなたかお願いします。(自分でやるのを放棄)
でも、公開されたらもう一度確認しに行くつもり。
まあ、さんざんイタリアの歴史がわかってないと理解できない映画だとか言っておいて最後にいうのもなんですが、
「イデオロギーに盲目になるあまり、当事者が人間性を失ってしまった人々を描くことによって、人間性を失った行動は、人々の支持を決してえることはできない。」
というのがこの映画のテーマだと思う。
これは、なにも赤い旅団側へのメッセージというだけではなく、逆にモロを助けるべく何の手もうたなかった体制側に対する批判にもなっている。
つまり、テロに屈しない=いかなる政治的妥協もしない
という態度は、人間性のあることなのか。ふと、考えてしまったわけです。
そこに人間性がなくなれば、反発する勢力の態度も硬化する。
ただ、中途半端に妥協することがよい結果を生むのかというと難しいところですが。
この映画の普遍的なテーマは遠く離れた日本でも十分通づると思うのです。
またローマ教皇が犯人に人質解放を呼びかけたり、ラストに神父が「お祈りを」と部屋を訪ねてきますが、全編を通して宗教も全く無力だったと告発しているようにも思えます。
100分という長さの映画ですが、内容の濃い秀作だと思いますので、是非多くの方々にご覧になっていただきたいです。

左がマルコ・ベロッキオ監督

ベネツィア映画祭でキャスト全員集合
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本編を見ながら日本赤軍を思い出しました。
「総括」など身内の凄まじい裁きがあった日本に比べ、
旅団は案外自由に出戻りもできて「お国柄なのかなぁ」と感じたりしました。
マヤ・サンサは本作で初めて見たのですが、
芯のしっかりした美人といった面持ちで惹かれました。
他の作品も気になるところであります。
そうですよね!ゆるい感じが。・
でもやってることは、日本よりすごいことなんですけどね。
今後ともマヤ・サンサ嬢をどうぞよろしくお願いします(笑)
なるほど、たしかにテロリストがあっさり外に出たりしているのはちょっと不自然ですね。僕もそこらへんは妙な気がしたのですが、でもこれは明らかに夢のシーンもところどころに入っているし、実際にどういう事件だったのかを追求するリアリティよりも監督の思いみたいなものを先行させてつくっているものなのかなと思って、そこは目をつぶってしまいました。
ヒロインがテロの一方で普通に仕事しているというのも考えてみると変な気がするけれども(そのほうが怪しまれないようにカモフラージュしていたのだという理屈はあるかもしれないが)、そこはもしかすると他のメンバーと対比させる意図があったのかなと思いました。
つまり、仕事をしたり彼女に会ったり仲間たちの間だけではなく外の他人に触れているメンバーは自分達のしていることを客観的にとらえていくようになれたが、メンバーの間だけでいる人間は先鋭化して客観視が出来なくなる、ということを対比させて見せようとしたのではないかと。
これはテロ組織とはちょっと違いますが、たとえばオウム真理教とかもそういう要素があったのではないかと思います。自分たちだけで共同生活をしていると外の世界が見えなくなって先鋭化していくというのか・・。
それと、監督がベロッキオですので、ヒロインの父親が死んでいるという設定が出て来た時点で、ああ、父親の面影がモロ元首相と重なるということがポイントなんだなと思ってしまいました。というのはベロッキオは処女作『ポケットの中の握り拳』をはじめ、近親相姦を題材にした作品を何本も撮っている監督だからです。以前から近親相姦というテーマにこだわりがあるらしいベロッキオがこの作品でファザーコンプレックスのテーマを意識していなかったとはやはり思えないのですが・・。
今、外からアクセスしているので、また後ほどゆっくりレスを書きますね。
メンバーの間だけでいる人間は先鋭化して客観視が出来なくなる、ということを対比させて見せようとしたのではないかと。
全くその通りですね。ガールフレンドに会いに行っていた仲間も迷ってましたし・・・。でも、疑問をもつことはできても、止めることはできなかった。これは事実です。集団で動いていれば当然指揮命令系統があるわけですし、下の人間が上の命令に背くことは非常に難しい。オウム真理教の事件がおこったとき、警視庁のOBが浅間山荘事件であのような活動は封じ込めてなくなったと思っていたのに、また形を変えておこってしまったという驚きを語っていたのを思い出しました。
でも、もっと前の半世紀以上前の戦争中だってそうだったのではないでしょうか。
そのような渦中にもし自分が置かれたとき、私たち一人ひとりは、どうするべきなのか。それこそが、この映画の投げかける普遍的な問いなのだと思います。
「輝ける青春」以来のマヤ・サンサでしたが、とてもステキでした。最初から彼女の瞳に惹きつけられ、感情移入をしっぱなしでした。ベロッキオ監督作品が始まりだったんですねー。