2007年08月05日

『私たちの家で』a casa nostra

やっぱり観てすぐ書かないといけませんね。
もう忘れています・・・

まずトレイラーから
http://www.youtube.com/watch?v=nQQxMwb4d_g


フランチェスカ・コメンチーニ監督によるミラノを舞台にした群像劇。

a casa nostra3.jpg

私はこの映画とても興味深く観ました。

今年の作品には北イタリアを舞台にしたものが少なかったから。『プリモ・レーヴィの道』のプリモさんはトリノ生まれの人でしたが、この映画はドキュメンタリーだったし、ロードムービーでトリノが舞台だったわけでもなかった。

本当にイタリアって北と南、たとえばミラノとシチリアは違う国みたいに雰囲気から、人の顔、光まで違いますよね。言葉も違うらしいし。


『私たちの家で』はイタリアの経済の中心地ミラノということでヨーロッパの洗練された雰囲気が漂っているんです。
娼婦や看護士さんなど様々な登場人物が出てきますが、メインは企業買収による株取引で利益を得ようとする銀行家と、その悪事をなんとか暴こうとする財務捜査官(ヴァレリア・ゴリノ)のふたりです。

気になったことは、登場人物たちがみな孤独を心に抱えており、アモーレを欲しているように描いていること。

追う側も追われる側も両方です。

これが、もしライブドア事件を日本人が映画化するとしたら、アモーレの不在の映画になっただろうか。

ならないでしょう。

とくに、ヴァレリア・ゴリノが懸命に銀行家を追い詰める様が、鬼気迫るのですが、その反面彼女は恋人とうまくいかず心にぽっかり空虚な穴が開いている。それを銀行家は指摘します。なぜかというとその銀行家も子供に恵まれずに悩む妻をもっているという設定になっており、夫婦の間には冷たい風が吹いている。追う側と追われる側正反対の立場のふたりは、なぜか引き合う要素があるのです。

ちょっとびっくりだったのは、映画に描かれる社会に倫理がないことです。そして誰もそれがないことを気にしてないような気がする。唯一看護士の妻が良心だったかな、あの映画の。

あるのはお金と愛の不在だけ。

ヴァレリア・ゴリノは不正を告発しようとがんばっていますよ。

a casa nostra2.jpg
がんばってる顔

でも彼女の動機が愛の不在なんですよね。
ま、女が妙にがんばっちゃってるときって結構家庭やらプライベートに問題あるときだったりすることあるかもしれんけど。

アメリカ映画でよくみるジャスティス、公平さというものが、イタリア映画にはまったく出てこない気がします。驚くべきことです。

実は日本には武士道のおかげで少しはそういう感覚が残っていると思う(思いたい)のですが、イタリア人の考える正義ってなんなんでしょう?

と考えさせられた映画でした。

この映画、イタリアでの評判はあまりよくありません。
どうしてでしょうか。これから調べます。


posted by マヤ at 21:22| Comment(0) | TrackBack(0) | イタリア映画祭2007 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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