2005年08月09日

ヴェネツィア国際映画祭ディレクター、マルコ・ミュラー Marco Muller

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8月6日付け日本経済新聞にヴェネツィア国際映画祭ディレクター、マルコ・ミュラーのインタビューが載っていました。

2005ヴェネツィア映画祭のラインアップが発表されたのが7月末。その直前に来日していたようです。
わずか28時間の滞在中に10数本日本映画の新作をチェックして中国に飛んだとのこと。その間にインタビューも受けてるのか、タフですなあ。
今年は1926-78の日本映画回顧上映と、34年以降の中国(特に上海映画)の回顧上映があるため、ラインアップ発表直前までいい新作がないか最終チェックに来ていたのではないかと思います。そのフットワークの軽さと良質な作品を探そうとする貪欲さには恐れ入ります。

日本映画回顧では28本も集め、伊藤大輔、山中貞雄など20-30年代の時代劇や、中川信夫、加藤泰、鈴木清順、深作の50年代末から70年代の映画に光をあてる。
「20年代のチャンバラ映画は歴史的な前衛作品、ロシアのフォルマリズムやフランスのシュールレアリスムと同じ重要性がある。中川や加藤はわれわれにとって現代性をもつ知られざる作家だ」という。

いやー、娯楽チャンバラ映画にこんな難しい注釈つけてくださるとは。
が、このコメントひとつとっても、恐ろしく頭がいい人であることは明白ですね。
「フォルマリズムって何ですか?」
という私がこんな人にインタビューしたら自分のアホさに打ちのめされること必須。

マルコ・ミュラーは昨年から4年の任期でディレクターに就任しましたが、それ以前からヨーロッパの映画祭のプログラムディレクターとして、主にアジア映画をヨーロッパに紹介してきた第一人者です。
なぜにアジア映画か?この人はもともと71年から78年までは中国学者&民族学者としてフィールドワークに励み、80年までイタリアの大学で研究を積む学者さんでした。

そんな経歴もあって、北京語がペラペラ。どうやら広東語もできるらしいです。(日本語も実はわかっているとか・・・)
1963年6月7日ローマ生まれ。イタリア人とスイス人の血を引く父親と、イタリア、ギリシャ、ブラジルの血を引く母親のもとに生まれる。
10カ国語は話せると言われる語学力を駆使し、大学での研究のかたわら、映画史についての書籍を出版。
78年ごろからまずトリノ映画祭で大規模な中国映画の上映を企画。80年から94年までは、ヴェネツィア映画祭のアジア映画セレクションの選定にも多大な貢献をしていた。
89年ー91年オランダ、ロッテルダム映画祭のディレクターをつとめ、Huub Bals Fund and the Coproduction Workshop (現在は "Cinemart Projects"と呼ばれる)
をはじめた。これはインディペンデント映画の製作に財政面と文化的なサポートをする機関としてヨーロッパにおいてとても重要な機関である。
91年から2000年まではロカルノ映画祭のディレクターをつとめた。

これらの活動と並行して98-02年はthe Film & Video Department of Benetton's Fabrica(通称 Fabrica Cinema)の責任者として映画製作にも進出。
プロデュース作品ですが、これまたすごい。
トルコ人監督Yesim Ustaoglu の作品、, 99年ベルリンで2つの賞を受賞したロシアのAleksander Sokurov監督作、99円カンヌで脚本賞を受賞したAdanggaman by Roger Gnoan M'Bala (Ivory Coast)、中国のチャン・ユアン監督作、イランの Samira Makhmalbaf (Iran),
そしてなんといっての一番の成功作が、カンヌ2001年の脚本賞、2002年アカデミー外国映画賞受賞したボスニアの映画「ノーマンズランド」でしょう。

それ以降にもタザキスタン人監督Jamshed Usmonovの「L'angelo della spalla destra」が2002 年カンヌの批評家週間で上映され、ロンドン映画祭、東京フィルメックス映画祭で特別賞を受賞している。

02年からは大学でアートの歴史を教え、03年からはスイスにRiforma Filmという会社を設立。これはイタリア語を話すスイス人の製作者の集まりである。同時期にイタリアにもDowntown Picturesを設立。
2004年からはローマで"Barbarano Cine Lab" projectというシネマワークショップをはじめるなど、隠れた名作を発掘するべく世界を飛び回る日々を送っている。

こういう人材がヨーロッパにはいますねえ。5ヶ国語くらいは当たり前に話す言語能力がまずすごい。考えてもみてください。日本人がプサン映画祭や中国の映画祭のディレクターなんてしないですから。

それからインテリであること、でも日本だと優れた批評家が映画製作の側に回ることはない。見る人、作る人は分かれていますよね。たとえば蓮沼重彦さんが評論&批評をしつつ、映画を製作しないでしょう。マルコ・ミュラーの場合はその垣根すら軽く超えて、製作者としても優れている。つまりお金を集められる交渉力と、才能ある人材を見分ける眼識と、行動力があるわけです。
またこういう人が責任あるポジションを任せられるという土壌も素晴らしいわけですが。

ヨーロッパのエリートの底力を感じます。

posted by マヤ at 00:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 第62回ヴェネツィア映画祭 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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