2006年01月04日

復活 RESURREZIONE

明けましておめでとうございます!
本年もコツコツと更新してゆきたいと思っていますので、どうぞよろしくお願いいたします。

年末年始は名作をじっくり堪能する時間ということで、新年第1作目はこちらの名作を。


『復活』RESURREZIONE (2001年・187 分、伊/仏/独 )

監督:パオロ・タヴィアーニ Paolo Taviani & ヴィットリオ・タヴィアーニ Vittorio Taviani
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原作: レオ・トルストイ Leo Tolstoy 『復活』(新潮文庫刊)
脚本: パオロ・タヴィアーニ Paolo Taviani ヴィットリオ・タヴィアーニ Vittorio Taviani
撮影: フランコ・ディ・ジャコモ Franco Di Giacomo
編集: ロベルト・ペルピニャーニ Roberto Perpignani
音楽: ニコラ・ピオヴァーニ Nicola Piovani
 
出演: ステファニア・ロッカ Stefania Rocca カチューシャ
ティモシー・ピーチ Timothy Peach ネフリュードフ
マリー・ボイマー Marie Baumer ミッシィ
セシール・ボワ Cecile Bois マリエット

あらすじ
貴族のネフュードフは若かりし時、叔母の家で召使として働くカチューシャと関係をもつ。彼女は妊娠してしまうが、出世のために彼女を捨てるネフュードフ。傷心のカチューシャは娼婦に身を堕とし、ある殺人事件で無実の罪をきせられる。その裁判でふたりは久しぶりに再会する。彼女をここまで貶めてしまったのは自分のせいだと悟ったネフュードフはあらゆる手段を講じて彼女を救おうとするのだが。
このふたりの悲恋物語を軸に農奴解放、裁判制度の欠陥、贖罪の三部からなる文豪トルストイの名作を、イタリアの巨匠ヴィットリオ&パオロ・タヴィアーニ兄弟が映画化。
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解説
私はロシアという国には正直それほど魅力を感じないのですが、文学だけは別です。私は古今東西の文学作品をすべて読んだわけではないですが、自分の少ない読書経験の中で、世界最高の文学はこのトルストイとドストエフスキーの作品群ではないかとすら思っているほどです。

ただ、彼らの作品は聖書からの引用が多く、深く理解するには、ロシア正教、その源流にあるキリスト教の素養が不可欠だと思います。
私は学生のときキリスト教学が必修で、聖書も指定図書として問答無用で購入させられました。そのときは授業も「しょうがなく」履修したのですが、今になって思えばそのときの授業が、ロシア文学への興味を広げるきっかけになった大変ためになる授業でした。(そのときに読んだのは「カラマーゾフの兄弟」)

タヴィアーニ兄弟監督は、本作を「死にゆくべき世界の終末の証人として、また人間の新しい面を探求しようとする新たな世界の始まりの証人として、二つの世紀にまたがって立ちはだかっている」作品と称しています。(公式サイトより)
小説をほぼ忠実に映画化していますが、やはり解釈は監督のものだと感じます。
とくに、カチューシャをステファノ・ロッカに演じさせたのに、監督のこだわりをみます。
原作を読んだだけのカチューシャの印象より、より洗練された意志の強さを感じさせますが、それは監督が「カチューシャをモダンウーマンとして描いた」から。たしかに、ネフュードフとカチューシャが再会した後、主導権を握るのはカチューシャのほうで、最後の彼女の選択など自立した現代女性そのものといえます。
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また、映画のラスト、まだ魂が空をただよっているようなネフュードフと、自らの道を選んだカチューシャの対比、そして画面に大きくでる
「20世紀」の文字。それが、冒頭の監督の解釈「新たな世界のはじまり」につながります。
ですが、20世紀すら終わり、21世紀に突入した現代はどうだろう。この作品に描かれているような貴族と、搾取される農奴たちの関係や、基本的な人権など多くの事柄が改善された100年だったといえるのではないでしょうか。
しかし、この小説の普遍性はそれで損なわれるものではありません。

カチューシャはなぜネフュードフを許せたのだろうか。
罪は「こうすれば償える」というものではない。
たとえば人を殺めたとき、何をすれば償えるのでしょうか?
私は罪そのものは、絶対に償えない、赦されない、と思うのです。


しかし、この映画を観てい、傷つけられた相手が唯一癒されることがもしあるとすれば、それは罪を犯した人間が、ただがむしゃらに償おうと必死に行動する熱意と、その「ひたむきなさま」に、激しく心を動かされたときではないだろうか、
と思いました。
つまり、罪は永遠に消えないけれども、カチューシャはネフュードフの心に打たれた、そして彼への想いもふっきれたのではないか、と思うわけです。
もちろん、カチューシャは本来ネフュードフを愛していたという事情はあるわけですけども。

ただ小説は、「良心」を最後まで貫こうとした二人の男女がどんな状況におかれてもその良心を貫くのに、つねに神への問いかけがなされるわけですが、映画では、原作にある聖書からのおびただしい引用と、神との対話はほとんど出てこないので、映画をみただけではその宗教色は薄いです。それが映画からはすっぽり抜けている。
ネフュードフがなぜここまで罪の意識に苦しみ、またそれを克服しようとするか、その贖罪の意識がどこから来るのかを考えれば、その背後に宗教心があると気づくはずです。
タイトルが「復活」というのも、もともとふたりが関係をもつのは、復活祭という儀式のあとであることと、それから魂の復活という大きなテーマからです。

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しかし、この作品がもともと書かれたのは19世紀、2世紀も前です。ドストエフスキーやトルストイの生きた時代の後には共産主義革命がおこるのにもかかわらず(共産主義は宗教を否定した)このふたりの大作家は、常に神へのといかけをし続けたことが非常に意味深いです。

ただ、小説と映画を両方見た後、私が頭をかかえてしまうのは、ネフュードフがどんなときにも神に問いかけるような信仰、それををもたない自分は一体何をもって自分を律するべきなのだろうか、ということです。

結局、どんな状況におかれても人間としての品格を保つには、「人として恥ずかしくない生きかたをする」という程度のことしか思いつかないんです、私は。

まあ、新年早々こんなことを考えさせてくれる名作です。


採点:★★★★+★(ぜひ小説も!)

映画『復活』公式サイト
http://www.alcine-terran.com/main/resurrection.htm






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