2006年06月08日

13歳の夏に僕は生まれた 番外・取材編

実は、、、私はとあるお仕事で合同インタビューながら監督に取材する機会を得ました。
とにかくこういう場では毎度のことながら始まる前は大緊張したものの、
つたないイタリア語で棒読みのご挨拶。監督は笑ってくれました。。それ以降は会話が続きませんでしたが。。。(監督あと1年待ってください)
その模様はどこかのサイトに載ってます、見つけてくださいませ。

さて、監督に実際にお目にかかった印象・・・・、大学教授みたいな人でした。
イタリア人は話が長そうだし(笑)、そうすると聞きたいことの半分も聞けないかなあ、合同取材だから時間は限られているし、何を聞こう・・・と不安は募ったのですが、そういう心配も杞憂に終わりました。こちら側の質問に論理的且つ明確に、簡潔に答えていく監督。あああ、すごい頭のいい人だとまたまた感動。
周りの方々の質問もそれぞれ素晴らしく、とても有意義な内容だったと思います。(あの場に同席した方々ありがとうございました)

これはイタリア映画祭の座談会でもそうでしたね。大勢の参加者がいるため時間が足りないという「場の空気」を読み、(もしかして来日以降の取材疲れもあったのかもしれないけど)、監督の答えは短いものでしたが、それでも言うべきこと、伝えるべきことを明快に答えていた。ううううん、今まで私が取材したことのある(非常に数は少ないですが)方の中で一番インテリジェンスに溢れる方でした。ああ、こういうふうに端的に内容のある会話がさらっとできるような大人になりたい!と思わせてくれる紳士でした。
きっとあの場にいた方も同意見だと思います。

そして監督はとにかくお洒落です。私は自分の質問が終わった後、どっと緊張から開放されふと目線を落とすと・・・ふと目線の先に、監督の靴下が見えました。
紺色とオレンジのチェックの靴下だった。
あああ、お洒落だ。薄いブルーのストライプのシャツにベージュのチノパンに紺のジャケットをはおり、組んだ足からオレンジをちらっとみせるとは。
くぅーーー、さすがイタリア人だぜ。

映画祭ではピンクのシャツにベージュの上下のジャケットも素敵でした。た。公式サイトに奥様と一緒の写真もありますけど、奥様もオレンジをとても素敵に着こなしていらっしゃってマダムの雰囲気。夫婦揃ってお洒落だと感心いたしました。

また、取材時には時間がないのでサインをもらえませんでしたが、映画祭のほうでしっかりゲット。
でも、あのー取材したものです、という語学力もなく何も言いませんでしたが握手もしてただきました。今年のGWはとにかくいいことがたくさんあったなー。
本当にイタリア映画祭を毎年開催していただいて事務局の方々ありがとうございます!
また、取材の機会を与えていただいたたくさんの関係者の方々に、この場を借りて
またまた、ありがとうございました!と感謝の言葉を。

2006年06月05日

13歳の夏に僕は生まれた  Quando sei nato, non puoi piu nasconderti

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こちらは原作本、オリジナルタイトルは「生まれたからには逃げも隠れもできない」という意味。どうでもいいけどこの色の組み合わせセンスいいと思いました。海と大地の色かな。

【あらすじ】
北イタリアの小都市ブレシャ。父親ブルーノは小さな会社を経営しており、一人息子のサンドロは何の不自由もない生活を送っていた。夏のバカンスで父親と友人ポーピとヨットで地中海クルージングに出かけたサンドロは、過って海に転落してしまう。
ふと気がつくと、サンドロは難民船に拾われていた。そこでルーマニア人の少年ラドゥとその妹のアリーナと出会う・・・。

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監督はこの「絵」を撮りたかったのではないかと思う。セリフがないのにすべてを物語る映画のマジックのようなシーン

【解説】
『輝ける青春』のマルコ・トゥーリオ・ジョルダーナ監督最新作。
ジョルダーナ監督は『ペッピーノの百歩』や、その前のパゾリーニを題材にした作品で、一貫して70年代を描いてきた。それは現代のイタリアの基礎が、悪いことも含め70年代に作られたからで、監督は20代を政治活動に没頭してすごしたらしく(その辺のことをじっくり聞いてみたい)、70年代というのは監督の原点の時代のようだ。
そしてその時代を描くことが、現代のイタリア社会への問題提起にもなり、その集大成が前作『輝ける青春』だったといえるだろう。


そして、最新作で監督の目は再びイタリアの「今」に向けられた。『輝ける青春』だけ見ると、監督は非常にロマンチストで(そうじゃなければ映画なんて撮れないが)、あのハッピーエンドはイタリア映画というよりもアメリカ映画のハッピーエンドを思わせてびっくりしたのだけれど、あのラストはどちらかといえば監督の本来の作風からは外れたものだったことが、『13歳の夏に、僕は生まれた』を観ればわかる。(これは『輝ける・・・』はもともとテレビドラマであったことを念頭に置くべきだろう。悪くいうとお茶の間的なところがあった)。
『輝ける』は監督の代表作ではあるけれども、皮肉にも本来の作風からは離れているような気もしたわけで、最新作『13歳・・・』で、また従来の路線に戻ったのかなと私は思ってしまった。

とはいえ難民問題を13歳の男女のプラトニックな愛を中心に描いて、商業的にうまくまとめたことについて(ロマンチックすぎて実際の現実とはあまりにかけはなれているといえなくもない)、本国イタリアでのこの作品の評価はそれほどでもなかったというのが、正直なところではないだろうか。
なぜなら、この映画の設定は2005年のイタリア映画祭で上映された、ローマを舞台にロマの少女と、普通の少年の交流を描いた『私をここから連れ出して』とほとんど同じであるからだ。
過去記事参照:http://myvoyagetoitaly.seesaa.net/article/4870443.html

少年が無垢な心で、ロマの少女を救おうとしても、結局問題は解決しないというラストまで非常に重なるところが多かったので、おそらくイタリアではそういう批評もされたのではないかと思う。
現に、今年のダヴィド・デ・ドナテッロ賞では主要部門にノミネートもされていない。だから『輝ける』の感動を期待していくのは、少し違いますよ、と観る前の方に言いたいです。

だが、だけども、本作は観る価値のある素晴らしい作品だと声を大にして言いたい。

まず、いくつもの私が知らなかったイタリアを見せてくれたこと。それは移民問題であり、イタリアの少子化問題である。
そして監督の「良心」を感じたこと。移民を主人公にしていないところ。イタリア人の視点で「貧しくて恵まれなくて可哀想な移民たち」を描いている映画ではないところ。
登場人物に悪い人がいないこと(厳密にはという意味で)
親子の愛情が痛いほど描かれていること。こんなに親に愛情と物を与えられた少年が悪い子に育つはずがありません)

そして実は、私はこの作品を2回みたのですが、1回目はただひたすらイタリアの移民問題を見せられて、その現実に驚いただけで映画が終わってしまいました。
そして実は2回目にこの映画をより深く味わうことができました。
というのは、実は移民の側よりも、私はサンドロの両親の側に身をおいてみたからです。
工場経営者として成功を収め、家にプールがあるほどの裕福な家庭なのに子供はひとり。その従兄弟にいたっては、「子供はいつでもできるから」と思っていたら結局恵まれず、養子をもらうにも、どういう子が来るか不安があると躊躇してしまう。

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アレッシオ・ボーニ、好演でした!

その反面、移民たちはおそらく子供をたくさんもうけているのだろう。貧しい地域こそ子沢山という世界共通の不思議な現実。

でもサンドロの両親は素晴らしい両親といえると思う。一人息子を溺愛し、愛情と、そしてよい教育を(イギリスに語学留学もさせている)惜しみなく与えている。ただ、家のインテリアを含め、話し方なども、あまり上品ではない両親という設定らしい、(この辺は大事なところのようです。イタリアの事情をよく知らない私は2回目に鑑賞時に特に注意してみてました)サンドロが助かったあとは、息子の願いを精一杯かなえてあげようと努力もする。
そして、サンドロ少年がこれまためちゃくちゃいい子。これだけ両親から愛をもらっているのだからだと思う。愛情をたくさんもらったからこそ、人にそれを与えることができる、そんな当たり前だけれども、世界にはそういう子どもと、愛情を感じられずに育った子どがたくさんいるのだ、ということを考えさせてくれました。

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13歳でも女のために人肌脱ごうとする、さすがイタリア男(予備軍)とかそんな「浅い」感想もってはいけませんよ。


公式サイト:http://www.13natsu.jp/

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