2008年03月23日

『バチカン』―ローマ法王庁は、いま






ヨハネ・パウロ2世の逝去、そしてベネディクト16世の誕生を朝日新聞ローマ特派員として報道した郷富佐子さんによる回想録。

ニュースの裏側として、ニュースより面白い話がたくさん詰まっている。記者として「考える前に動け」を自らに課し、歩いて人と話して直接に得た情報がたくさん盛り込まれている。

この中のビックリ情報。

イタリア映画祭でもおなじみのマルコ・ベロッキオ監督(『夜よ、こんにちは』『母の微笑』『乳母』『結婚演出家』)が、2006年の総選挙に中道左派連合に属する急進党から比例代表に出馬したと書いてあるのです。

そして気になるのは・・・あのー、肝心の結果が書いてないんですが(笑)

おそらく、落選したのでしょうけど(笑)。

この話は、バチカンがいまだに政治に強い影響力を発揮しているという中で、それに異を唱える一人としてベロッキオは・・・という流れで紹介されます。

そして、リベラル派が多い中道左派政権に政権が交代したことでバチカンが危機感を強め、宗教者による現政権をゆさぶる政治的な発言が相次いでいる、と。

そしてバチカンの思惑どおり?か、この本の予測したとおりというか、ブローディー政権は今年1月に1年8ヶ月という短さで崩壊してしまいました。


もちろん他にも要因はありましょう。だが日本ではバチカンがこんなに政治に口を出してくることがほとんど報じられていないのではないでしょうか?

イタリアに「政教分離はない」のだということが、とてもわかりやすく書かれています。

また、バチカンがここまで躍起になるのは、欧州でのキリスト教ばなれが深刻で、かなり危機感をもっているという背景があり、そのてこ入れのためにまず地元イタリアにはしっかりと影響力を保持しておきたいという意向が働いている。

もっと知りたい方は本をどうぞ。


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2008年02月29日

破産しない国イタリア


2年前にイタリア映画祭で上映された『マリオの生きる道』という映画がありました。お役所勤めをしているマリオが自分の好きなことをして生きていく決心をするまでのお話だったのですが、正直それだけの話で、展開もまったりしているし、わたしは面白くなかったのです。

が、この『破産しない国イタリア』を読んで、この映画が描いていたことの意味がわかりました。

第7章 渡る世間はコネばかり

のなかで、イタリアで就職するにはいかにコネが重要かについて書かれているのです。


『マリオの生きる道』は、実はラストにマリオの父親が、マリオが大嫌いだった上司に払ったワイロによって、役所の仕事に就くことができたということが明らかになります。マリオはそのおことを知りませんでした。

息子のためを思ってやった父親、コネ、ワイロ、そして役所で働くことがよかれと思って生活のために我慢していたマリオ

結局マリオは、役所を辞めて自分の好きな道で生きていくことを決心します。

これは、イタリアの若者へのメッセージみたいな映画だったんですね。

そういう背景を知って観るのと、知らないで観るのとでは面白さが違うと思いました。



『マリオの生きる道』有料ですが、視聴できますよ
http://www.ondemandtv.co.jp/contents/detailvideo-17206.html



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2007年06月01日

『物語 イタリアの歴史U』藤沢道郎著



ローマのカステル・サンタンジェロ(聖天使城)を舞台に繰り広げられる7つの物語。じつに紀元2世紀から17世紀の1500年もの間、いや現在にいたるまでその威容を誇る・・というだけでワクワクいたします。

もともとこのカステル・サンタンジェロはローマ帝国皇帝、ハドリアヌスの陵墓として建造されたもの。

それがオペラ『トスカ』では主人公トスカが身を投げる舞台としてもこの城壁が登場するのだという。といってもこのオペラはフィクションですが。

いやいや、もう冒頭から腐女子ががっつり食いつくお話です。

ローマ皇帝ハドリアヌスの側近、アンティノオスという謎の美少年がいた。
彼については、小アジアのビテュニアで知り合った黒い瞳の少年という以外は何もわかっていない。しかし、この少年と出会ったときの皇帝の様子がいかにも幸福そうだったことは確かである。

この少年が、旅の途中で川に転落し溺死する。

皇帝の悲嘆ぶりは激しく、「弱弱しい女のように泣き崩れた」という。

しかし皇帝の落胆振りとは裏腹に、ローマ帝国はますます繁栄し強大となっていく。

あらゆる富と権力を手中に収めても、手に入らないものがあるんですよね。これは『ローマ人の物語』を読んでいてもよく思うことです。

おすすめ本です♪


前作のレビューはこちら
http://myvoyagetoitaly.seesaa.net/article/5856082.html

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2007年05月16日

CREA TRAVELLER 心躍る、イタリアへ



文化的な読み物ページはないです。
リゾートホテル&レストランガイドブックのような中身です。
写真もきれい、そうだなー、私としてはインテリアの色の使い方や料理の彩りや盛り合わせの参考にはなるかな。絶対こんなセレブな旅できそうにないし。

ただひとつ。

ローマのカフェ兼ブックショップが紹介されているのですが、
コーヒーをセルフで入れるのです。
スタッフも客も業界人ばかりと。
あれ、これってイタリア映画祭のプログラムでセニョール太郎オカモトと、ジャスミンが語り合った場所じゃないだろうか。
ジャスミンがカフェを煎れてくれたって書いてあった・・・

それが気になります。

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2007年04月09日

『のんびり、ゆったり、僕流イタリア料理』濱崎龍一著

『のんびり、ゆったり、僕流イタリア料理』 濱崎龍一




説明の必要もないくらい、有名なイタリアンの店、リストランテ濱崎のシェフが雑誌クロワッサンに連載していたエッセーをまtめた本。

3年以上も前のこと。そのころは今ほどイタリアに興味もなかった頃でした。職場の人が「こんなおいしいお店に行ったのは生まれてはじめて」と興奮して語っていて、「みんなを連れて行きたい!(ついでに自分ももう一度食べたい)」とお店を予約してくれて行ったのがリストランテ濱崎でした。

自分が行ってよかったから、みんなを連れて行きたくなる、そういう店って本当に良い店だと思います。

そこまでいうなら、と、私の期待は250%に膨れ上がり、当日のお昼はいつもより控えめにという臨戦態勢で臨んだのですが、
正直行った後の感想は「おいしかったけれど・・・」でした。

ま、期待が250%ということは、結果120%の満足でも期待の半分になるわけです。だって「今まで食べたイタリアンの中で一番美味しかった!」とまあ信頼できる味覚の人が目を輝かせて熱く語っていたんですからね。
そう、どんなことでも期待しすぎはいけません。(映画でも舞台でも・・そして人間にも、ね・・・)

この本を読んですっかり忘れていたこんな昔の記憶が少しずつ甦ってきました。
「そうそう、アペリティブが美味しかったんだ」なんて断片的な記憶が復活してきた。

それから、とても大事なことを思い出しました!

リストランテ濱崎にいった次の日の朝食がとても美味しかったこと。

そして本にも「次の日の朝食を美味しく食べてほしい、そこまで考えて料理を作っている」と書いてあって、あああっ、やっぱり素晴らしいお店だったんだと思いました。

グルメでもなんでもない私ですが、しっかりコースを食べた次の日の朝の食欲がおいしくたくさん食べられること。
体調が優れなくてもなぜか食べられて、しかも翌日元気になっていること。そんな経験をした数少ないお店がここでした。

本当によい食材をその長所をいかしている美味しい食事をいただくと、多少の体調の悪さは回復する、どころか、前の晩あんなにたくさん食べたのに胃が全然もたれず、翌日の朝食の食欲もある。そう、こういう経験したことがある方ならきっとわかってもらえるかと。

それから、この本を読んだとき、そうか、自分が本当に美味しいと思った店には、春、夏、秋、冬と季節で通うものなんだなと思いました。

だから季節ごとにエッセイをまとめている編集もとてもいいと思います。
料理のレシピがのっているので、簡単に作れそうなものに挑戦してみたいと思うし、それからもう一度リストランテ濱崎に行きたくなりました。

今でもまだ予約がとれない店なのかな。

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2007年03月06日

『南イタリアへ!』講談社現代新書

『南イタリアへ!』 陣内秀信 著 講談社現代新書

以前こちらで紹介した

http://myvoyagetoitaly.seesaa.net/article/12575408.html 

紹介した『ヴェネツィア 水上の迷宮都市』の著者が、南イタリアの都市、建築についてまとめた本です。

なにより写真がカラーなのが楽しい。文章を疲れて読む気にならなくても写真だけパラパラみて、目に留まった箇所だけ読んだりしていました。

実は私、1冊の本を最初から最後まで順番どおりに読まないのです。(本によりますよ)
そんなへんな私の読み方にも対応してくれる構成もお気に入り。

陣内氏の文章もとても読みやすい。しかも小難しくないのもいい。

基本的に「自分でみて知的好奇心をくすぐられる」ことがすべての出発点であり、またその目の付け所にすごく共感できるのです。

たとえば、
南イタリアの港町アマルフィにイスラムの影響を見つけるところ。
サルディーニャ島にあるキリスト教が普及する前の太古の昔の巨石文明の遺跡(イングランドにあるストーンヘンジと良く似た先史時代の石の柱の記念物まである)の紹介し、その太古の巨石文明には、日本とも共通する自然崇拝の痕跡を示しているというくだりなど。

こういうはるか昔からの聖地の上に、現在では、キリスト教会が建てられているといった解説が、わかりやすい文章で語られるので楽しいのです。

おそらく、陣内さんがすごくワクワクしながら散策しているのだと思う。その楽しい感じが読んでいて伝わってくるのです。

この本を片手に持ちながら南イタリアの島々を歩いてみたい、そんな気分にさせてくれる本です。










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2007年02月23日

岡田温司 著『マグダラのマリア』

『ダヴィンチコード』の大ヒットでイエスとマグダラのマリアは結婚していた説がセンセーショナルに広まってしまったけれど、ヨーロッパでは義経がチンギスハーンになったような感じで民間信仰の中には存在していた話なのだと思う。

事実は証拠が見つかっていない現在では「わからない」わけですが、少なくともカトリック総本山のバチカンからは「真面目にコメントするのもバカらしい」と一蹴される程度のお話である。

あれはあくまでフィクションとして楽しむお話です。

ただ、私は聖書をもっているので少なくとも共観福音書と呼ばれる4つ(マルコ、マタイ、ルカ、ヨハネによる福音書)を読む限りはマグダラのマリアについての記述って本当に少なくて、聖書からだけでは『ダ・ヴィンチコード』のような話はまったく思いつきません。

では、ダン・ブラウンのネタ元はなんだろう?

ということで、調べていくのは面白い。

そこで「外典(がいてん)」と呼ばれる、聖書に取り入れられなかった文書がでてきます。
これ以上は脱線するのでここでは触れませんが、その内容はもちろん、それらがなぜ聖書に入らなかったのかと興味をもちだすともーーとまらない。


さて、『マグダラのマリア』には、マルコ、マタイ、ルカ、ヨハネ福音書にみられるマリアの記述を比較し、ルカがペテロ拠りで、ヨハネがマリア拠りであることを指摘する箇所があり、すごーーーく面白いんですよ。

そうそう、このままどんどんすすんでほしい!

と思って読んでいくと、途中から西洋絵画におけるマグダラのマリアという話にかわっちゃうんです、この本。

たくさんの絵画を写真で紹介して、マグダラのマリア像が時には権力者、民衆の思いを反映しながらどう変容していったのか、とても読みやすくてわかりやすくまとめられています。

私としては、カトリック教会が本来娼婦でもなんでもないマグダラのマリアを、いつのまにか娼婦に仕立て上げたその思想的背景をもっと知りたい!
ただ、それについてはこの本では詳しく触れられていません。

マグダラのマリアを重要視する思想はグノーシス主義の影響がみられると少し書かれていてそこにヒントがあるわけで、興味を持った人はグノーシス主義をWikipediaで調べててみると、そこには迷宮の世界が(笑)

このグノーシス主義については、私も非常に興味があるんですけど、なーんか難しいんで本読みながら寝ちゃうんですよね(笑)









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2007年01月14日

『ヴェニスに死す』 トオマス・マン著

今回の感想は、映画ではありません、本のほうです。
トオマス・マン著『ヴェニスに死す』

じじじじつは、映画の「ベニスに死す」ちゃんと観ていません。
本を先に読みたかったので。
映像を見てしまうとどうしてもその印象が焼きついてしまうじゃないですか。

とはいえタッジオはもうどう頭をひねっても映画のタッジオですけど。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


およそ誰でもはじめて、または久しく乗らなかった後で、
ベニスのゴンドラに乗らねばならなかったとき、
ある軽いおののき、あるひそかなおじけと不安を、
抑えずにいられた人があるだろうか。
譚詩的な時代から全くそのままに伝わっていて、
ほかのあらゆるものの中で棺だけが似ているほど
一種異様に黒いこの不思議な乗り物。
これは波のささやく夜の音のない犯罪的な冒険を思い起こさせる。

それ以上に死そのものを、棺官と陰惨な葬式と最後の無言の車行を思い起こさせる。

そしてこういう小船の座席、棺のように黒くニスの塗ってある、
うす暗いクッションのついたあの肘掛け椅子は、
この世でもっとも柔らかな、もっとも豪奢な、
もっとも人をだらけさせる座席であることに、
人は気づいたことがあるだろうか。

アッシェンバッハはそれを知覚した。



本作は5章から構成されています。

第3章からがヴェニスでの話であり、第3章がやはり一番のハイライトというべきでしょう。
ただ、展開からいうと第1章からいや最初の1Pから死の影はアッシェンバッハをとらえています。

第1章
午前中仕事をしたアッシェンバッハが、昼食後気分転換に散歩にでかけるところから始まる。
ミュンヘンのプリンツレゲンテン街。5月はじめなのに8月のように蒸し暑い日。
そして不意の雷雨が襲ってきそうな雲行きのため、帰りは電車に乗ろうと停留所で待っていた。
停留所は北部墓地の前。人影のない街。
ふと目にとまった異国風の男。彼と目が合ったアッシェンバッハは、どうしようもない旅行欲にとりつかれる。
→彼ににらまれてその場を立ち去る直後に旅行欲が芽生える。
この異国風の男の姿はなんとなくこの世のものと思われず、死神のような書き方に思えます。

第2章
アッシェンバッハの生い立ち、業績が語られる。

第3章
ベニスに到着→最初に引用した文章はこの第3章、ヴェニスに到着してゴンドラに揺られているときの一文です。
タッジオとの出会い
そして疫病のうわさを聞きヴェニスを立ち去ろうとするがひょんなきっかけでそのままヴェニスに滞在しつづけることになる。


第4章
タッジオをひたすら恋し、彼の一挙手一投足を全身で堪能する、至福の時

第5章
ヴェニスの疫病がいよいよ猛威を振るい出し、徐々に人々はヴェニスからでてゆく。
タッジオへの思いが募るほど、彼の体調も悪化してゆく。
そして死

このように最初から最後までこの小説は「死」に彩られています。
そういう意味でよくよく読むと気味が悪いです。
そしてこれを映画化しようとしたヴィスコンティ。。。
晩年になればなるほど死の影がまとわりつく彼の作品群と重ねると、なんだか暗い気持ちになりますね。
ヨーロッパの黄昏といいますか。しかも、いずれ海の中に静まってしまうというヴェニスという街を舞台にするところざぞ
物語構成は完璧です。

映画はタッジオの美しさにみとれるほうが先で、あまり怖さは感じないのですけど、小説を読めば読むほど
やはりコワイ話ですね、これは。


さて、あとがきに書かれていましたが、ドイツ語の原題を直訳すると「ヴェニスにおける死」だそうです。
しかも、現在のヴェニスはだいたい「ヴェネチア」と書きますね。
だから「ヴェネチアにおける死」という固いタイトルもいいのですが、それを「ヴェニスに死す」としたセンス!
このタイトルのなんと官能的な響き。
実吉捷郎(さねよしはやお)さんによる翻訳の見事さを解説されていますので、それもぜひご一読を。





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2006年08月25日

夏休み読書感想文 「恋を知らなくてはどんな人間も徳や情をもてないものだ ―デカメロンより

むかしむかし、少年隊というグループがおりました。(今もまだいるそうな)
彼らが歌った曲に『デカメロン伝説』という今ではもう誰も覚えていない曲がありましたそうな。
参考までに歌詞が読めるページのURLを貼り付けておきます。
http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=53835

♪〜AH!デカメロンWOO(恋物語)
♪〜AH! デカメロンWOO(千夜一夜さ)
♪〜AH!10日間だけじゃ語れない、愛している(君だけ)〜♪


今回は、この少年隊の迷曲『デカメロン伝説』との元となった?ボッカッチョの『デカメロン』を読んでみたのでございます。

melone.jpg
写真と本文は全く関係ありません

『デカメロン』は1348年〜53年の間にボッカッチョによって書かれました。

若い紳士3人と、貴婦人たち7人の計10人が偶然教会で出会い、当時流行していたペストから逃れて楽しみましょうと、人里離れた別荘で過ごした10日の間に、自分たちが見聞きしたお話を語って聞かせるという形式をとっています。
10人が10日間、ひとり10話ずつ、合計100篇のエピソードを語っていくのです。

「デカメロン」は「10日間」を意味します。

日本語の響きだと、なんとなく違う意味があるような気が致しますが、わりとひねりのないタイトルなんですねー。古今東西の古典は、日本語に翻訳されるとき、タイトルも日本語に訳されることが多いですよね。でも、なぜかデカメロンだけは、「10日間」にはならず「デカメロン」のままだったのは、この音の響き絶妙に日本人の耳に響いたからに違いない、と思うのは私だけでしょうか。

悲劇、喜劇、男女のだましあい、友情の物語から歴史冒険譚まで100篇の様々な「愛」の物語は、読んでいて飽きることがありません。落語の小噺みたいなのです。短くてとても読みやすかったです。

ま、様々な愛の形とはいっても、精神的な「愛」というよりは、肉体の悦楽をまっすぐ追及しているのが、読んでいてずっこけたところでしょうか。しかも、それを肯定しているのがすばらしいですね!ちなみに、悦楽といっても好きな人と結ばれる程度のことですよ。あまりヘンな想像しないでね、ま、読めばわかりますが。

この作品の文学的な重要性は、当時散文を綴るにはラテン語を用いるのが普通であったのに、フィレンツェ語を用いて、ラテン語的構文・用法を参考にしつつ洗練された表現をしたことにあるようです。大げさな言い方をすれば「イタリア語散文芸術の重要な一起点」と位置づける研究者もいるそうです。(文学、詩の分野ではダンテ、ペトラルカがすでに確立していました)。

隠語や諺、階級による言葉遣い、話し言葉としてのリズムなどきっと原語で読むとまた楽しいのでしょうね。

さて、その中で私が一番笑ってしまったお話を紹介いたしましょう。


ちなみに、これは正確にいうと導入部分のエピソードで、本編ではありません。
男女の愛の不思議について語ることが、どうしてそんなに悪いことなのか、だってそもそも私たち人間はこんな生き物なのですから、、、といって語られるエピソードです。
このブログに引用するにあたり、読みやすくするために多少表現を変えたり、省略した箇所がありますのでご了承ください。

キスマークキスマークキスマークキスマークキスマークキスマークキスマークキスマークキスマークキスマークキスマークキスマークキスマークキスマークキスマークキスマークキスマークキスマークキスマークキスマークキスマークキスマークキスマークキスマークキスマークキスマークキスマーク



私たちの都市にフィリッポ・バルドゥッチという男がおりました。
彼には妻がいましたが早くこの世を去ってしまい、2歳の一人息子が残されました。
フィリッポは愛していた伴侶に先立たれ、もうこの世にいる望みを捨てる覚悟を決め、神への奉仕に一心を捧げようと決心しまして、自分の幼い子どもにも同じような道をとらせました。

早速、アジナイオ山に登って、ここで息子と一緒にひとつの小さな小舎に入ったのです。父親は息子とともに施し物をうけて、断食や祈祷で日を送りました。息子のいるところでは、俗世のことは何によらず話さないように、またその目にふれさせないように非常に用心をしておりました。
俗世のことが日々の奉仕活動から息子を取りのけないようにするためです。
彼は息子に永遠の生命の栄光や、神や、聖人たちのことを話して、敬虔な祈祷のほかには何も教えませんでした。

そして何年も長い間、息子をこうした生活に閉じ込めておいて、自分の姿のほかには何も見せませんでした。


そして月日は流れて、息子は18歳になりました。

父親は時々フィレンツェにでかけていましたが、父親もすっかり年寄りになっていましたので、ある日息子がこういいました。

「お父さんはもうお年寄りですし、骨を折られるのはお体にさわりましょう。お父さんよりももっと骨折り仕事のできる私が、フィレンツェに行きます。ですから一度フィレンツェに連れて行ってほしいのです」

父親は「この子のいうとおりだ」と思い、息子を連れて行きました。

ここで若者は屋敷や、家や、教会やそのほかその町じゅう一杯にあるあらゆるものを見て、物心がついてから今までにそんなものは見たこともなかった人のように、ひどくびっくりしだして、いろいろなことについて、これは何だとか、どう呼ぶのかと父親に聞きました。
父親はそれをいちいち彼に説明してやりました。
こうして息子が聞いて父親が答えているうちに、たまたま二人は、結婚式からの帰り道だった美しく着飾った若い女たちの群れと出会いました。

若者はその女たちをみて「あれは何か」と父親に訊ねました。

すると父親は

「息子よ、下をうつむいているんだよ、あれを見てはいけない。あれは悪いものなんだから

といいました。

すると息子がいいました。

「では、なんというものですか?」

「あれは鵞鳥(ガチョウ)というものだよ」

※補足説明1) ガチョウってこんな動物 
http://zookan.lin.go.jp/kototen/gakko/gacho1.htm

※補足説明2) 王子動物公園のガチョウ
http://www.ojizoo.jp/zukan/html/0209003.htm


今まで一度もガチョウをみたことがなかった息子は、屋敷や、牛や、馬や驢馬や、金や、そのほかみてきたものはそっちのけで、すぐに言いました。


「お父さん、お願いですから、あのガチョウを一羽手に入れることができるようにしてください

「まあ、息子よ、お黙り、あれは悪いものだよ


若者は父親に訊ねていいました

おお、悪いものはあんなふうにできているんですか

そうだよ」と父親はいいました

すると息子はいいました

「私はお父様のおっしゃることがわかりません。なぜこれが悪いものなのかもわかりません。私にかんするかぎり、こんなに美しい、こんなに気持ちのよいものは今までみたことがないような気がします

さあ、お父様、わたしのことを可愛い息子とお思いでしたら、このガチョウのうち一羽を家に連れて行けるようにしてください。わたしがそれに、ついばませましょう」(?餌を与えて大切にしましょうという意味か?)

父親がいいました

わたしはいやだ。お前はどこでそれがついばむかも知らないんだよ」

そして、父親は自然のほうが、自分の理智よりも大きな力をもっていることを感じて、息子をフィレンツェに連れてきたことを後悔しました


キスマークキスマークキスマークキスマークキスマークキスマークキスマークキスマークキスマークキスマークキスマークキスマークキスマークキスマークキスマークキスマークキスマークキスマークキスマークキスマークキスマークキスマークキスマークキスマークキスマークキスマークキスマーク


さて、この続きはどうなるですって?

もう、これでじゅうぶんじゃないですか!

デカメロンは、息子が女性に関心をもったことを「自然」と呼び(これ、原語でどういう単語使っているのでしょうね)、ひたすら、その男女を突き動かす「自然」の尊さを?うたうわけです、はい。人間の理智よりも上にくるものとして、です、はい。

スバラシイデスネ!

しかし、『デカメロン』にはオチ?もあります。

この本の執筆以後、ボッカチオは従来の官能的生活を深く悔い、精神的、学究的活動にいそしみ、人文主義的教養を深めた


そうでございます。(笑)


とはいえ、断っておきますが、本編は肉欲の話ばかりではないですよ。友情や親子の情についての感動話もたくさんあります。

しかし、相手が結婚しているから、口説いてはいけないという観念=ゼロな人たち。
夫がいないうちに、楽しんで何が悪いのと開き直る妻たち。
屁理屈をこねて、女をくどく修道士。


スバラシイデスネ!

ただ、この本を書いた理由のひとつに、キリスト教の一夫一婦制にがんじがらめになっていた、虐げられていた女性たちを励ます意味もあったそうですね。

まあ、わが日本はキリスト教文化圏の人々に比べると、宗教上の性的な縛りがあまりないといえるし、源氏物語を読めばわかるとおり「自由恋愛」の伝統はあるとは思うのですが、『デカメロン』は底抜けに明るいというか、突き抜けてる感じがいいですね。

たとえば、源氏物語では(比較の対象として適切かはおいといてね)相手の顔がわからない段階で歌のやりとりをして、相手の知性を感じ、実際あった後、見た目がそれほどでなくても歌がうまいとか、女性の人となりに愛情を感じるというプロセスありましたよね。
でも、デカメロンでは、あるところにとても美しい女性がいました→男がその女性に一目ぼれ→女性をじっとみつめる→女性も見つめ返す(逆バージョンもあり)→女性にその気があると確信すると、男はなんとしても女性を手に入れたいと思い、あれこれ手をつくす→言葉でとうとうと愛を語る。という風にすすんでいき、相手の性格がどうこうというより、見た目&一目ぼれ至上主義なんですよねー。

ま、これが文化の違いというものなんでしょうね。

ほかにも修道士が人妻を口説く話やら、若い修道女が毎晩のごとく男子と逢引する話なんて面白いんですけど、まあ、興味をもった方はぜひ挑戦してください。


最後に、わたしはちくま文庫の『デカメロン』を読みましたが、この表紙の絵はいかがなもんでしょうか。

まるで夕刊フジの大人ページの挿絵みたいな、もっと他になんかいい絵なかったんでしょうか?










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2006年08月15日

『ボクが教えるほんとのイタリア』アレッサンドロ・ジェレヴィーニ

『ボクが教えるほんとのイタリア』新潮社 アレッサンドロ・ジェレヴィーニ著

よしもとばななさんの著作を翻訳したことで注目を浴びたアレッサンドロさんのエッセイ集。
まえに「イタリアンばなな」という本もこのブログで紹介してます。

安く入手できるのなら、さくっと読めて楽しいのでイタリア好き初心者の私には結構面白かったです。

「自分が日本でであったイタリアという国は一見誇らしいほどの魅力に満ち溢れてはいましたが、
実際にはどこにも存在しない幻想的な「イタリア国」でしかありませんでした」

という正直なまえがき・・・そう、この本が書かれた頃はまだ「ちょいモテ」なんて言葉もなかったけど
あいかわらずどこにも存在しない幻想的なイタリア国は日本では健在ですけどね。

個人的に巻末についている東京で飲めるエスプレッソの採点表がとっても重宝してます。
とはいえこれは平成13年版だからもう5年たってるんだよね。
この採点表だけ在日イタリア人の方々にどこかのwebサイトで定期的に更新していただきたいと思うほどです。
わたしは、近所にSegafredo ZANETTIがあるので大変重宝しています。
本当にセガフレードのアイスカフェラテはうまい。米国チェーンのカフェラテなんかより絶対おいしい。
どうして、日本人はあんなにスタバ(あ、言っちゃった)にばっかり行くのか?

とまあ、ぼやきはここまでにして、

最後のほうに日本語の不思議・・・として
イタリア語版「空耳アワー」の数々が紹介されてますが、これが抱腹絶倒。
日本語の言葉の響きが、イタリア語で突如意味をもつといういくつかの例が紹介されているのですが、

たとえば、こんな意味があるのだそうです。

その結果(日本語)=sono checca(イタリア語)→私はおかまなんです(意味)



そのほか、ここではとても書けない未成年者禁止の章もおすすめ。

ほぉー、三浦和義選手のことを「キングカズ」っていうのは、イタリア人の前ではやめたほうがよさそうね。
ちなみに、彼がイタリアのジェノアに移籍したときユニの背中におもいっきり
「KAZU」って書いてあったけど、正直それやめたほうがよかったんじゃないのかなとすら思いました。
スペルは問題ないけど、音が・・・ね・・・。






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2006年07月26日

『ムッソリーニ―ファシズム序説』木村裕主 著 清水書院

『ムッソリーニ―ファシズム序説』木村裕主 著 清水書院

ムッソリーニについて、イタリアのファシズムの歴史に興味をもった方へおすすめの入門書。私のような初心者にはうってつけの本でした。この本はムッソリーニの誕生から死までが簡潔にまとめられており、これを初めに読んでおけば、その後専門書に進むことができると思います。

えーえー、はるか遠い昔、受験では世界史を専攻したにもかかわらず、私が使用していた世界史教科書には意外とイタリアファシズムの記述は少なかったんですよね。

チャップリンの名作『独裁者』にムッソリーニとヒトラーがお互い自分のほうが偉いんだと張り合ってイスをどんどん高くするというシーンがありましたね。
それが私のムッソリーニのイメージのすべてでした。

そもそも、私がムッソリーニについてもっと知りたいと思った理由は、「ファシズム」という言葉の由来がイタリア語の「ファッショ=束ねる」から来ているという世界史用語集の解説を読んだからでした。

イタリアって不思議な国で、ファシズムを生んだかと思えば、戦後西側ヨーロッパ諸国の中で一番共産党勢力が強く(その辺の理由もこの本を読めばわかります)初めて共産党を政権に取り込んだりしている。一見、ギャップがあるようでいて、実はそれは底辺で繋がっていて、その歪みが戦後モロ首相の事件に繋がるということも、なんとなく把握することができたように思います。

とはいえ、新たな疑問が生じる。日独伊三国軍事同盟だったはずが、戦後連合国から戦犯として裁かれたのはドイツ(ニュルンベルグ裁判)と日本(極東軍事裁判)だけで、あれ、イタリアは?
国内のパルチザンがムッソリーニ政権を制圧したから、(いや米国がシチリアから上陸したのとどっちが先?)ドイツや日本のように最後まで戦って無条件降伏したのとは違うからですか? ということはムッソリーニの政権下で甘い蜜を吸ったような連中は戦犯として裁かれてないの?
とかこの本を読んでも残る謎はあるわけですけど・・・そしたらもっと他の本で勉強していこう。

しかし、私がこの本に感動したのはその簡潔な内容だけではありません。著者の木村氏は1926年生まれで日本の戦争を体験した世代です。「新聞記者になったのはあの戦争を二度とおこさないため」という信念をお持ちの方で、その信念がこの本に終始貫かれている点が素晴らしいと思いました。

・・・・国家とは国民がいてはじめて成り立つ。つまり国のためということは、具体的な国民のためでなければならない・・・

そんなわけで、620円でこの内容。まさに1家に1冊の本です。

と、書いたところでなんとアマゾンでは893円!私が持っているのは1996年の第1版なのですが、10年の間に200円の値上げですか・・・





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2006年06月02日

三面記事で読むイタリア

三面記事で読むイタリア 内田 洋子 (著), シルヴィオ・ピエールサンティ (著)  光文社

イタリアに関する本というのは、玉石混交だと思います。
はっきりいって、内容のなさにがっくりくる本も多い。とくに私の好みの問題だと思いますけど、エッセイ関係はつまんない。私の友達の体験談のほうがよっぽど面白いんですよ。

そういう本はほんとうにお金を出して買わなくてよかったと胸をなでおろすわけですが(だいたい借りてるので)、今回ご紹介する本は安価でしかも内容もしっかりしており、購入しても損はない本です。

『三面記事で読むイタリア』は、文字通りイタリアの新聞記事から著者(内田 洋子氏、シルヴィオ・ピエールサンティ氏の2名がピックアップしたものをまとめた本です。

日本の読者向けに書かれたものではないので、日本ではおしゃれなイメージばかりが先行するイタリアの日常が非常にコンパクトにまとめてあるので、読みやすく、且つ、勉強になります。サイズも重さも電車で読むのに最適。

さて、私はあえて『悲劇のファンタジスタ ロベルト・バッジョ』の記事をおすすめします。

18歳のときにおったケガでバッジョのひざは炸裂したようなめちゃくちゃな状態になった。賢明にリハビリし復帰したものの、一年後にまたケガをし、220針!も縫う大手術。そして引退するまで、いや今もだろう、痛みから解放される瞬間はなく、毎日が実験でだましだましプレイする日々だったのだという。
バッジョ曰く「常に1.5本の足でプレイを続けてきたようなもの」らしい。


が、ここまではバッジョのファンならまあ事実として知っていること。

ここからがこの本の面白いところです。

私は94年のW杯アメリカ大会からのバッジョしか正直知らないのですけど、
それ以来ずっと「どうしてこれだけすごい選手なのに、イタリアで冷遇されているのだろう?あまりにひどくないかい?」とずっと思い続けていました。

バッジョは様々なクラブで優勝を決定づける大活躍をしているにもかかわらず、ほとんどの監督と対立し、プレーとは裏腹にクラブを転々としているのが不思議でならなかった。
私はアレッサンドロ・デルピエーロは好きですけれど、彼とバッジョだったら比較にならないほどバッジョのほうが優れているでしょう。
なのに、なぜデルピエーロはいつまでもユーべの10番で代表に呼ばれ続けているのか。一度イタリア人に直接聞いてみたいと思っていたわけですが、

この本のおかげでだいたいその謎が解けました。

なんとなくこうなんじゃないか、と予想していたほぼその通りでしたが、ええ、興味がある方はぜひ読んでみてください(笑)

別に買わなくてもこの部分だけ立ち読みしてもいいと思いますよ。

と、もったいつけておしまいです・・・




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2006年05月23日

『明日、生まれ変わる』

『明日、生まれ変わる』(Nati due volte)
ジュゼッペ・ポンティッシャ著

映画『家の鍵』の原作です
公式サイト:http://www.zaziefilms.com/ienokagi/
ブログ過去記事はこちら:
http://myvoyagetoitaly.seesaa.net/article/8744420.html


いくつもの人生を想像することはできる。
だが、この人生を放棄することは、できない



最近、こういう純文学を読んでいなかったせいか、久々に心に沁みる作品をじっくり味わえて、読書の楽しみ、喜びを喚起させてくれる作品だった。
読み終わった後しばらく、静かに余韻に浸れたし、考えさせられること、自分の個人的な思い出が記憶のかなたから甦ってきた。この本は、雑音のない静かな場所で読みたい本です。
そして、翻訳がとても素晴らしかったと思います。簡潔で読みやすい日本語でした。

映画『家の鍵』の原作ですが、あまりに小説と映画が違うことに驚き、それと同時に、この小説をああやって脚色するのか、という脚色の仕事の見事さにも感服いたしました。
『家の鍵』は、小説と同時に読むとさらに感動が深まる作品です。
あらためて映画の完成度の高さを、周囲に広めたくなってしまった。

原作では@妻も健在で、ジャンニは教師をしており、夫婦と息子2人(パオロには兄がいる)、家族で暮らしている。Aパオロが生まれて大きくなるまでのエピソードが綴られている。Bジャンニは不倫している。それを妻が感づいるらしい。妻のショックから、パオロは障害をもつことになってしまったのではないか?という秘密が明かされる。これはパオロに対し、家族に対し、ジャンニが罪の意識をずっともちつづけるという非常にキリスト教的な設定だなあと思った。

映画をご覧になった方はわかると思いますが、この原作を、妻を捨てた男が、ドイツのリハビリ施設で、初めて大きくなった息子と対面するという設定に変えたのです。
それによって映画では濃密な父親と子供の空間を作り出すことに成功している。そして父親とは、父親になることはどういうことかの葛藤に、焦点がしっかり絞られているのです。
小説では生まれてから、ずっと一緒に暮らしていてもずっと迷い、悩み続けている父親なのですが。

さて、ここからは非常に個人的なことを。
私は学生時代に障害をもつ友人と旅行をしたことがあります。そのときのことを思い出してしまった。その人は自分のことはなんでも自分でやる、私以上にアクティブで有能で、社交的な人でした。楽しい旅でしたが、あるときはうんざりし、あるときはこちらも助けられ、そして私は、障害をもつ人と「たまにしか一緒にいない自分」を思い、「生まれてからずっと一緒にいるその人の家族」について考えていました。その人と旅に出て、そこでいろんな人と出会い、その人と初めて出会う旅先の人々がその人に対して何を話しかけ、どういう行動をとるか、そしてその光景を傍らから冷めた目で観察していた自分。
そして、その旅行の後、しばらくその人と疎遠になってしまったのだっけ。

自分の人生を通り過ぎるだけ人と、向き合っていかなければいけない人。

もし自分が彼女だったら、もしあのときあの人と出会っていたら、もし出会わなかったら、もし違う国に生まれていたら、もし、もし、もし・・・


この本のタイトル、なぜ「今日、生まれ変わる」にしなかったのだろう。
「明日」というのは、もしかしてとんでもなく絶望的な意味をもつかもしれない。明日のことなど誰にもわからない。
絶望と、同時に希望をどうしようもなく求める気持ちが、「明日」という言葉に込められているのではないか。

この本を読んでよかったです。






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2006年03月27日

『マストロヤンニ自伝 わが映画人生を語る』

この本はイタリア映画好きなら1冊もっていてしかるべき本だと思います。

というのも、この本、資料的価値のある本だからです。
基本的にはマストロヤンニが人生の思い出を語ったエピソード集ですが、付録として、マストロヤンニ年表、参考図書、出演作品などが後半、非常に詳細に丁寧にまとめられています。とくにマストロヤンニ年表は、マストロヤンニの出演した映画や舞台の年表にあわせて、同じに年に日本や世界でどのような映画が作られ人気を博したかも要約され、並べられているので、マストロヤンニの人生を世界&日本映画史の視点から俯瞰できるのです。
とうやら、この年表は原作にはないようなので、訳者と出版編集者の努力&マストロヤンニへの愛の結晶に違いないと思います。

マストロヤンニ、、、、私は彼が来日して『徹子の部屋』に出演したのをビデオ録画していたのですよ。たぶん『こうのとりたちずさんで』のために最初で最後の来日を果たしたときだと思います(定かでない)。つい最近まで保存していたのに、ふとサッカー中継を上書きして消してしまったのです。ああ、悔やんでも悔やみきれない。
具体的にどんなことをしゃべっていたか、もう忘れてしまいました。

が、「印象」だけは、強く思い出に残っています。

この番組をみたとき、母親とふたりで「・・・・来日しないでくれればよかった・・・」とつぶやいたのでした。
だって、軽いのはあくまで演技で、本当はもっとシリアスで堂々とした大スターだと思ってたら、もう『昨日・今日・明日』のソフィア・ローレンに振りまわされる情けない男まんまで、あまりの「軽さ」と「とまらないおしゃべり」にすっかり幻滅したのでした。

が、この自伝を読んでいると、そうすべてがあの『徹子の部屋』のマストロヤンニが浮かんできます。おどけてみせて、結局ほんとうの彼は煙にまかれているような、そんな感じ。もしかして、あの姿もまた演技だったのか、徹子さんの前でもタバコすってましたけどね。本当に煙に巻いてましたね、周囲を。

marcello.jpg
ヘビースモーカー

そんな、彼の人となりを物語るひとつひとつのエピソードは短くて読みやすい。

ロベルト・ベニーニが、晩年マストロヤンニの舞台をみて
「驚いた、あんた俳優やるべきだよ」
と電報を打ってきた話。

フェリーニが「甘い生活」の出演オファーをマルチェリーノ(フェリーにはマストロヤンニをこう呼んだ)にしたときに、見せた脚本・・・ではなく1枚の絵。しかもわけわからん絵なんです。

ヴィスコンティとの出会いのエピソード。

「ほかの女優に失礼だが、彼女は別格だった」というアンナ・マニャーニとの共演。

家の使用人として雇ったエチオピア人が家族を呼び寄せ、いつの間にやら大所帯で住み着いていてビックリ!

などなど、本当にこの人は憎めない男、スターなんですよね。





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2006年03月14日

『イタリアンばなな』

イタリアでよしもとばななの本が翻訳され、大変な人気だというのはちょっと前に話題になっていたっけ。
この本はばななさんの本をイタリア語に翻訳したアレッサンドロ・G・ジェレヴィーニ氏とばななさんによる共著。なんとなく手にとって読んでみた。

翻訳することになった出会いから、今にいたるふたりの交流が、あるときは対談で、そしてお互いの目線から交互に語られる。

『キッチン』がどうしてイタリアでベストセラーになったのか。
食べることと家族の関係についての考察も面白いですが、家族とのコミュニケーションの形がとても日本的なのだという。

「イタリアでは100%言葉によるコミュニケーションがとても重要とされます。手紙でも自分はどこの誰で何が好きか、言葉で表さないと伝わらない。コミュニケーションのとりかたを(イタリア人は)それしか知らないという感じ。しかし、小説や日本の一部の映画には言葉を使わない、それでも人間同士のコミュニケーションが成り立っている。それは自分たちになくてとても魅力的だ・・・」

「日本では時々一言も話さないでデートしている人たちがいる。不思議に思うのと同時に自分も一度くらい沈黙のデートをしてみたいなあと思う。・・・・そのとき自分がどういうふうに感じるか興味がある。文学を通してでしか僕はそういうものを楽しめない。どうしてもしゃべっちゃうから(笑)。」


うーん、そのカップルは別れ話でもしてたんじゃないでしょうか>

イタリア人をひとりで無人島に連れていくとどうなるか、ふと想像したりしました。ロベルト・ベニーニあたりを・・・。

ベニーニ.jpg
呼んだ?


『イタリアンばなな』アレッサンドロ・G・ジェレヴィーニ+よしもとばなな著 NHK出版(2002)





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2006年01月31日

ヴェネツィア 水上の迷宮都市  陣内秀信

大学でイタリア建築・都市史についての教鞭をとる著者が、自ら研究生活を送ったヴェネツィアの都市空間としての魅力を紹介する本。

ヴェネツィアの魅力を伝えるために、都市の成り立ちから歴史、市場、広場、劇場文化、カフェ、カーニヴァルなど、様々な見地から解説する。とはいえ、文化論ではない。あくまで都市論である。

しかし、観光客でにぎわうのは本当に一区画だけなんですね。サン・マルコ広場の周辺だけうろうろしていた私としては、迷宮のようなこの島のほんのさわりしか見てないんだわ。

まあ、せっかくなので映画に関連した箇所をご紹介。

映画『ヴェニスの商人』のシャイロックはゲットーに住んでました。
「ゲットー」という言葉はナチス時代にユダヤ人を隔離した居住区の呼び名だと思ってましたが、実はヴェネツィアにその起源があった。

ヨーロッパのほかの都市に比べユダヤ人に寛容なヴェネツィアには、他のヨーロッパ諸国、オリエントなどから様々なユダヤ人グループが流入したという。彼らはおもに12世紀にはジュッテカ島に根を下ろしていた。禁止されていた高利貸しを営んでいたが、経済活動の中心地であるリアルト広場の周辺地区に次第に集まり、15世紀末にはその数はますます増えていった。
しかし、一般市民との間に様々な問題が生じたため、共和国政府は1516年すべてのユダヤ人を街の北西部のはずれにまとめて住まわせることにした。これが「ゲットー」である。

この土地はもともと隣にあった銅の鋳造工場から出る廃棄物を捨てる場所だった。この工場が移転し、空いた土地に彼らが住むようになったのである。
「鋳造する」という意味のgettareにちなんで、この一角はGettoと呼ばれ、そこからGhetto(ゲットー)の言葉が生まれたという。

この地区はヴィスコンティの『夏の嵐』に出てくるそうです。


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2005年10月23日

『人びとのかたち』 塩野七生 新潮文庫

『ローマ人の物語』の作家、塩野七生さんによる映画エッセー。
ハリウッド映画も、イタリア在住の塩野さんにかかると、アメリカ文化とヨーロッパ文化の比較文化論になるのが面白い。
たとえば、リチャード・ギア主演の『アメリカン・ジゴロ』と、ヨーロピアン・ジゴロの比較。塩野さんの友人で世界的に有名な化粧品会社の女社長(誰だ〜?興味津々!)の囲われ者だったというその男性は、南欧風の美男で立居振舞にも品格のあるローマ大学法学部の学生。その彼をどこへいくにも連れていたという女社長。いやはや、ジゴロって言っても歌舞伎町のホストとは全然違いますから。ヨーロッパじゃのぅ、大人やのぅ・・・と唸ってしまうふたりの関係はどんなものだったでしょう? 

興味をもった方は、是非ご一読を。


塩野さんは、ゲーリー・クーパーの大ファンということで、エッセーのそこかしこにクーパーの話題が出てくる。『真昼の決闘』『デザインフォーリビング』『モロッコ』。そして、私生活で、クーパーの愛人だったパトリシア・ニールのことまで。
そしてPニールがクーパーとの不倫を成就できなかったことを、キャサリン・ヘプバーンとスペンサー・トレイシーのふたりと関係づけて考察してみる。
私はこのエッセイを読んで、アメリカ人がなぜあれほどキャサリン・ヘプバーンを愛したのかが理解できた。


このほかイタリア映画の話題もモチロン出てきますが、それはこれからその映画についてこのブログで書くときに、少しずつ小出しにしていこうと思います。

映画を語るとき、大事なのは書き手の視点、切り口であることを痛感する本。


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2005年09月30日

『イタリアのベスト・レストラン トスカーナ編』 牧野宣彦著

筆者は1945年生まれ。52歳で会社を退職し、シエナの料理学校に入学してイタリア料理を勉強した。その後、仏ミシュラン三ツ星レストラン21軒を食べ歩いた後、イタリアの同じく三ツ星レストランに行った。この結果、高くても2人で3万円ほどで食事ができる家族経営のイタリアンレストランのほうが、そのリーズナブルさと、美味しさで断然上!という結論に達した。そんな筆者が、トスカーナ地方のレストランを食べ歩いた記録がこの本だ。

イタリア生活は痛風の痛みで始まったという。痛風の薬を服用しながらのボリュームのある料理の数々。この食べ歩きの記録は何年の間に行われたのかはっきり書いていないので、ただ読んでいると連日食べているように思えてしまった。

トスカーナ地方は、長ぐつの形のひざ小僧にあたる部分。フィレンツェを含む土地は気候が温暖で、面積の38.7%は森林に覆われる緑豊かな土地だという。ピエンツァのチーズ、良質のオリーブオイル、ポルチーニ茸や、トリュフのほか、野兎、雉などの動物もたくさん生息している。この豊かな食材を使った料理が、トスカーナ料理といわれるもの。ちなみに、イタリアにはイタリア料理は存在しないのだという。フランス料理の影響が強いピエモンテ料理、アラブの影響のあるシチリア料理、ナポリ料理など。フィレンツェやシエナで話されていたトスカーナ語が、現代イタリアの標準語になったように、ここトスカーナのイタリア料理がもっとも標準的なイタリア料理なのだという。

グルメでもなく、ワインもほとんど飲めない私が読んでひかれたのが、ドルチェ、デザートですよ、デザート。「ホテル・ヴィッラ・ラ・マッサ」内にあるレストラン。16世紀にメディチ家の夏の保養所として立てられた建物が1930年にホテルとなって創業70年。
顧名簿には英国首相ウィンストン・チャーチル、グレゴリー・ペック、リチャード・バートン、エリザベス・テーラー、最近ではジョージ・ルーカスの名前もあるというホテル。
ここで食べたコースの最後をかざるのが、イチゴソースの上にフルーツのグラタン。さらにその上に大きいアイスクリームがのっている。

ああ、食べたい。



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2005年08月13日

『物語 イタリアの歴史 〜解体から統一まで』藤原道郎 著

『物語 イタリアの歴史 〜解体から統一まで』藤原道郎 著

夏休みということで、じっくり読書でも。

この本は一家に一冊あるととても便利です。
全十話、一話でひとりのイタリアの偉人を紹介。
彼らの人生とその生きた時代を解説してくれます。この人たちは、映画に限らず、世界史にも美術にも音楽にも登場するので参考書のかわりにも使えますよ。

ざっとあげると、
第3話「聖者フランチェスコ」
第5話 「銀行家コジモ・デ・メディチ」
第6話 「彫刻家ミケランジェロ」
第10話 「作曲家ベルディ」

特に聖フランチェスコが大好きな私は、彼の生涯を知っているのに読みながら涙してしまいましたが、彼の信仰より、教会内の権力闘争が詳しいのが興味深い。

フランチェスコが出席した1215年にラテラーノ公会議には、スペイン人ドミニコ(本文ではドメニコ)が出席していた。言うまでもなく聖ドミニコ会の創始者である。
ほぼ同じ時期に「完全な清貧」を基礎にする2つの修道会を始めたこの二人が活動を開始したこと。
「放浪の托鉢者」として、貧しい身なりで金銭も一切所有せず、福音を説いて回る。
というこの新しいグループを、カトリック教皇庁は「正統」としてとりこむことによって、ますます「異端」を弾圧する体制を整えていくのである。

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2005年06月22日

首相暗殺―赤い旅団のテロルと闘った男の壮絶な日々 ロバート・カッツ著 集英社

この本をなぜ読んだかというと、イタリア映画(『夜よ、こんにちは』『輝ける青春』)にこの事件のことがでてきたからである。
モロ首相誘拐・暗殺事件がどういう社会的背景のもとに、誰によって引き起こされたかを知らないと映画も理解できないと思って読んでみた。

1978年3月16日。キリスト教民主党総裁アルド・モロが誘拐された。彼は戦後5度も首相を経験したイタリア政界のドンと呼ばれる大物。
いつもどおり仕事に出かけるためローマの自宅を護送車に乗って出た後、人目につかない路地で別の車から降りた4人の男が銃を乱射。
護衛の5人はすべて射殺され、モロは別の車に押し込まれ誘拐された。犯人はモロにはケガひとつ負わせていない。
その後「赤い旅団」を名乗るグループから犯行声明が出され、政府にトリノで拘留中の仲間の釈放を要求してきたが、時のアンドレオッティ首相率いる政府が犯人グループとの取引を拒絶、55日間の監禁・尋問の後、モロは遺体となって発見された。
この事件の真犯人はいまだ逮捕されていない。(複数犯人のうち何人かは拘束されている模様)

「赤い旅団」はトリノに本拠をおいた極左団体。1970年代初期から活動を開始したイタリアの極左テロリスト組織。司法官、警察、ジャーナリスト、実業家、政治家など要人を誘拐・殺害した。1978年には、アルド・モロ キリスト教民主党党首を誘拐し殺害した。

誘拐されたその日は、ヨーロッパ初の共産党が政権に入ったキリスト教民主党と共産党の連立与党政権誕生が正式発表されるという記念すべき日、その日に悲劇はおこった。

特にユーロコミュニズムの先頭を行ったイタリアでの共産党の躍進は、西側諸国を脅かす勢いがあり、このことにアメリカが危惧を抱いていたという視点からアメリカ陰謀説など現在にいたるまでさまざまな憶測が流れている。ソ連が崩壊後は歴史的事実として振り返っていられるが、70年代の米ソ対立は世界に深刻な影を落としていたし、西側諸国で共産党が与党政権に組み込まれることは脅威であった。
といっても、モロのとった共産党を含んだ連立与党政権樹立は、共産党が政権をとることを阻止するための苦肉の策であったのだが。

この事件の対応を一手にになったのは当時の首相ジュリオ・アンドレオッティ。
事件後、モロにかわってイタリア政界のドンとして君臨した人物である。

赤い旅団からの再三の取引を、イタリア政府は一切拒否した。
一国の首相が誘拐されたら、表向きはテロには屈せずとはいっても、裏では状況に応じてあらゆる取引するのが政治というものだろう。
この本を読んで驚いたのは、一国政権党の総裁の命がかかっているのに、犯人側と交渉「すら」しなかった、という驚愕の事実である。
笑い話のようだが、犯人の手がかりがつかめないため、霊能者に占ってもらい、そこに警察隊が突入するということまでやっていながら、犯人の足跡すらつかめなかった。つかもうとしていたのかすら、怪しい。
交渉するうちに犯人像が少し見えてきそうな気もするが、交渉すらしてない中、雲をつかむような捜査しかできなかったというわけだ。
はじめから、モロを見殺しにするべく決まっていたかのような決着。

イタリア政府は、ブライアン・ジェンキンスというテロ問題の世界的な専門家にではなく、アメリカ国務省から秘密裏に派遣された国務省次官補スティーブ・ピーチェニックに対応のアドバイスを仰いでいたという。「無行動の戦略」と呼ばれた、つまり何もしないことが、ピーチェニックの協力によりたてられた戦略であり、カーター大統領からそれを支持する声明が再三出されたことにも触れている。アルド・モロはアメリカに見捨てられた首相だったのか。

その後アンドレオッティがイタリア政界のドンとして長く権力の場に居座り続けたことは、アメリカとの蜜月のゆえなのかとかんぐりたくもなる。
翻ってわが日本だって・・・などと考え始めると・・・。

国のために尽くしてきた一人の男を見殺しにするような政府の動きに、モロの家族は反発、死後一切の政府による追悼を拒んだのも納得できる。

この本では、赤い旅団側は、首相と旅団の服役囚1人の1対1の交換しか要求していなかったということだ。しかも旅団側の1名とは、重大犯罪者ではなく、解放しても旅団側に全く役にたたない、病人であった、というのにである。それなのに、その要求に応じなかったのはなぜななのか。

またなにより、赤い旅団はいまだに暗殺事件をおこしているのである。(1988年に壊滅したと思われていたが、1999年バッソリーノ労働大臣顧問のマッシモ・ダントーナローマ大学教授が暗殺され、「赤い旅団」名の28ページにわたる犯行声明が出された。イタリアon lineよりhttp://homepage3.nifty.com/bologna/index.html

この事件を知るための本が日本であまり出版されていない中では、この本は入門書としてお薦めできます。


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